渡辺肛門科医院入院体験記 私のホームページへ戻る(ホームページへ)
[1]プロロ−グ [7]D室痔治会長 [13]一気に病人になってしまう [19]『従業員教育ですよ』
[2]覚悟 [8]お清め [14]大便禁止の日 [20]これでみんなお尻あい
[3]第一印象 [9]睡眠薬 [15]浣腸 [21]抜糸、バッシバッシね
[4]指入ります [10]手術前 [16]入院必須アイテム [22]患部に触れる風呂の中
[5]インフォ−ムドコンセンス [11]究極の姿勢 [17]麻酔の副作用? [23]渡辺院長の痔治療哲学
[6]蛸部屋 [12]病巣はモツ鍋に [18]おつとめ行列 [24]苦痛の総括

[1]プロロ−グ

 事の起こりは平成5年6月。肛門横が腫れて痛くなり某内科医院へ駆け込んだことからだ。そこでは、切開して膿を出してもらう。病名『肛門周囲膿瘍』。一応それでことなきをえたわけである。ところが、暫くしたらこりこりするしこりがその部分に出来上がったのがわかった。   
 この頃から書店で医学雑誌を立ち読みし、自分の病気のなんたるかを知る。しばらく某内科医院に通っていたが、親しくなった婦長さん曰く「ここじゃなく、村井にある専門のお医者さんの所で見てもらった方がいいですよ。」 


[2]覚悟
 かくて翌年の夏、渡辺肛門科医院の門(門はないが)をくぐる。とここまでくるには相当の覚悟がいる。覚悟、それは肛門を見てもらうという未曾有の恥ずかしさをクリア−することである。某内科医院で予行演習をしていたもののやはり、やはりである。


[3]第一印象

 受付のお姉さんに興味本位でまじまじ見られたら、即帰ろうかと思ったりしたが、能面顔で事務的に手続きをしてくれる。帰る時などは必ず『お大事に』との声。ありがたい。これなら毎日でも通ってこれそうな気がしてくるから不思議なものだ。
 診察室から『○○○○○○○○さ−ん』と先生らしき良く通った男性の声。おいおい普通は看護婦さんか事務のお姉さんの優しい声じゃないのか。しかも、フルネ−ムで呼ぶなよな−。待合室に誰もいなかったからいいようなもののこれではたまらんぞ。

[4]指入ります

 いよいよ診察。お釈迦様の涅槃像のごとく横たわり、なにやらゴム手袋をはめる音、それに続き、『指入ります』というが早いか、ちょびっと痛さが走る。
『これは立派な痔瘻です。』

[5]インフォ−ムドコンセンス

 図説入りでこと細かに説明してくれる。「原因はこれこれしかじかで・・・。入院して手術で取り除くことをしないと完治しません。しばらくは通院して膿のでる口がふさがらないようにしたりして、手術する時期待ちますかね。それまで酒、たばこ、風呂かまいません。」いきなり、でっかいカレンダ−を取り出し、「九月中旬までは一杯です。」なるぼど、びっしりなにやら書いてある。「それ以降は開いてます。」十月以降はすきずきだな。「火・木・金が手術日です。入院して退院するまでは二十日。それ以降は通院してもらいます。完治までは3カ月です。決まり次第お知らせ下さい。・・・・。」と矢継ぎばやに、ばっさばっさ切り落とすが如く説明下さる渡辺先生である。聞き慣れないアクセントなので、長野県の人ではないなと思う。あまり、あっさりおっしゃるものだから、第一回の診察では用意していた質問の機会を逸してしまった。手術・入院となればこちらにだってそれ相応の覚悟というものがあるわい。しかし、人の体を切り刻むことに慣れると話もそれに近いものになるのだろう。

[6]蛸部屋

 一月二十六日午後二時入院、これから始まる入院生活に一抹の不安を覚えながら、受付にその旨を伝える。一週間程前、入院生活のなんたるかを説明受けていたとはいえ、病室へ案内されて暫し唖然。今日、私と同じ境遇になる若い男性Z氏。私より二日ほど先輩であるおばあちゃんKさんと独身のうら若き予備校講師Yさん。三郷で大々的にりんご農家を営んでいるT氏。若い筋骨隆々とした子持ちのTN氏と畳十丈程の六人部屋で男女同室、ベットはなく中央通路より一つ段差のある床の上にカ−テンだけで仕切られ、ふとんが敷かれているだけの蛸部屋である。   

[7]D室痔治会長

 先輩に挨拶を済ませるとさっそくD室痔治会長TN氏がにじり寄ってきた。部屋のきまりなるものを提示、おおらかに入院生活を送るためのものらしい。電気ポットを利用しない私は二百円を拠出することになる。ここは恥じらいというものがくなってしまうと予備校講師Yさん、ぽんぽん飛びだす言葉はここでしか言えないような言葉である。それにニコニコ応じるKおばあちゃん、お産の後遺症で切れ痔になったと一日遅れて入院してきたチルミルママ、切れたイテテテと大はしゃぎのT氏が話に加わるとまさに笑点さながらの騒ぎとなる。ここで約一週間暮らし、あとは三階の大部屋(合宿所)に移ることになる。順調にそうなることを願った。

[8]お清め

 その日の4時ころ、処置室に呼ばれる。おっ、いよいよですな。と送りだされる。例の涅槃像になり、なにやらごそごそやりだす。背中から尻にかけて石鹸を塗られ、カミソリをあてがいジョリジョリである。なれない看護婦Nさんのせいか手間がかかっている。毛深いせいよなどと言ってくれる。このまま前の方もかなとドキドキして待っていたが、これにて終了とのこと。いわゆる、尻の穴まで毛を毟られた気分とはこのことだろう。

[9]睡眠薬

 その日は2錠の小さい薬を渡される。睡眠薬なのだそうだ。今日は明日の手術のためにぐっすり休んで下さいとのこと。幾分の緊張もほぐれ、次の日の朝まで心地よい意識不明が待っていた。そういえば、二十日間の入院中ぐっすり眠れたのはこの夜だけだった。

[10]手術前

 いよいよである。朝九時ころ処置室へ。今日同時に手術する同期生二人と共にまずは浣腸である。浣腸液が大分つぎ込まれる。五分間待つのだぞ。と言われたってそんなご無体な。手術順はトップバッタ−とのこと。昼食は無し。絶食。当然だな。先輩諸氏はこの病院と契約している仕出し弁当屋さんからの弁当に舌鼓を打っている。食事制限は特にないとのこと。今日の夜から食べていいけど三分の一程度の量を食するだけということを聞いている。人間食うことをとられたら・・・。果たしてそうなるだろうか。自分だけそのまま昇天なんてこともありうるかも。ここまでくれば、あとは野となれ山となれだ。

[11]究極の姿勢

 手術が始まる。右・左肩に一本づつの注射。心臓の働きをよくするためのものらしい。浴衣一枚になり、手術室へ。手術着に着替え、手術台にのる。心電図計の計器を取り付けられる。足首に足を釣り上げるための輪をセット。スッポンポンで恥ずかしいなどと思っている時間がない程手際がいい。心電図計から送られるピッピッピッという音でいよいよだという感じがしてくる。「あれ−、ここん所赤くなってる−。」と心電図計の計器を見ていた若い看護婦さんの声。一分間に四十六回の脈拍では機械も異常と判断したらしい。「○○さん何かスポ−ツしてたでしょう。」と婦長さん。「え−、一応体育の先生をやってます。」と私。「そのせいよ。これで二人目ね。」と婦長さん。もともと脈拍は少ない私だが、四十六回というのは変だ。あの肩に打たれた注射のせいだろうと思いなおす。
 極力自分の心の動揺をコントロ−ルしつつ座っている。と、それではとばかり背中に麻酔注射である。チチッとしただけで済んだ。三分程経ったろう。いきなり手術するに都合のいい恰好になる。仰向けで、足を開き、あの部分丸見えである。そうそう、お産の時の恰好なのだ。白い布切れをバサバサ被せ、患部のみを出しているのだろうか。チクッとして、もう始まった。耳にはリクエストした曲が流れている。

[12]病巣はモツ鍋に
 「はい、終わりました。」と差し出す血まみれの肉片がゴム手袋の上に乗っている。ヤキトリにしたらいいかなと思ったのは正常な感覚だろうか。「バイ菌が進入した所はここで、膿が出ていた部分はここ。切ってみま−す。」何だか楽しそう。筒状になっていて膿の通り道に沿って鋏をいれていく。まるでモツ。「モツ鍋行きですね。」と私。親指の第一関節部分以上はあったろう。気持ち悪い物を見てしまった。手術時間は三十分程だろうか。

[13]一気に病人になってしまう

 これで六時間はじっとしていることになる。二本の点滴、計1リットル。終わるのに二時間、その後四時間は天井を見つめる。なんともやるせない時間だ。そうしていないと頭痛などの麻酔の後遺症が出るのだそうだ。おとなしくしている。下半身の痺れた感覚が薄れてくるに従い、尻部分にザクザクした痛みが強くなってくる。我慢できるか否かの境目の痛みだ。夜九時ごろ小用を足す。特に行きたいという感覚はなかったが1リットルもの水分を入れられ、まる半日も用を足していないので行ってみた。普通なら、足踏みをするくらいではないかと思われる水量が出たのにはびっくりした。歩みもおぼつかず、痛みも走り、ああこれで病人になってしまったのだ。その晩は眠った感覚がない。

[14]大便禁止の日

 翌日は食事量三分の一、点滴一本、大便禁止の日となる。大便をしようなどという気になる訳がない。ただ、食べてもいいのかと、もし大便をしたくなったらどうしようかと心配になる。先輩の言葉を信じて食べた。腹がすいていておいしい。

[15]浣腸

 手術後二日目の朝、処置室に呼ばれる。同期生である同室のZ氏、B室のK氏と共に浣腸液を入れられた。その後廊下の長椅子でやはり五分待つ。排便し終わったらそのままにして処置室へ入り、看護婦さんにその旨伝える。血の出具合を確認するのだそうだ。幸い出血量は少ない。痛み止め用の座薬を二つ入れられる。これで、食事は普通。治癒を待つ長い入院生活が始まったという実感が沸く。少し楽になった。浣腸は手術前のを含めて入院中二回で済んだ。

[16]入院必須アイテム

оT字帯 いわゆる褌(ふんどし)である。患部を保護するカット綿・脱脂綿を覆うのに一番都合がいい。この年になって始めて身につけてみたが、あまりフィットしない。暫く我慢するしかないか。
оおつとめ袋 何のことはない。カット綿・脱脂綿・紙絆創膏・軟膏など処置に必要なアイテムを入れておく手下げ袋のこと。手術直前看護婦さんに預けると記名され、軟膏と紙絆創膏を入れておく小袋が取り付けられて手元に返ってくる。入院中何処に行くにもそれを下げていけばいいようになっている。排便後や二時間毎の患部洗浄と休む暇なく忙しい?から手元にいつも置いておく。駅前で紙袋を下げている人をみれば、渡辺肛門科の卒業生だ。と
о百円玉 これで全自動洗濯機、乾燥機、電気コンロが使える。フィルムケ−スに奥さんが入れておいてくれたが、退院する頃には使い果たした。
о即席味噌汁 お湯を入れれば味噌汁が出来上がりというもの。味噌汁がないとごはんを食った気がしない私にとって大切な代物となった。が、入院生活が長いと飽きてしまう。早く家の味噌汁が飲みたいものだ。
о醤油 弁当のおかずはとっても味気ない。醤油を入れるべきところに醤油が入っていない。

[17]麻酔の副作用?

 頭痛がひどい。術後三日目から五日目までこの症状に悩まされる。先輩の話によると、本を読んだり、ワ−プロしたせいだよ、と。そういえば、術後六時間の絶対安静は守っていたが、後は尻の痛さは別にして体調もよく、手持ちぶたさから目や頭を酷使していた。ちょっといい気になりすぎたかな。

[18]おつとめ行列

 朝九時ごろと午後四時ごろ『処置の時間ですよ−』の放送で、その日の入院患者全員が二階から三階からぞろぞろやってくる。ざっと三十名ほどの行列となる。例のおつとめ袋を下げている。また、それはそれぞれの症状の情報交換の場でもある。処置室は全部で四室あり診察室をついたての壁で仕切ってあるだけのものだ。先生と患者のやりとりを聞いているのも面白い。処置は看護婦さんによって患部を温水で洗浄し、必要とあらば先生が痛み止めの座薬を入れてくれる。意気地のない私は抜糸するまで座薬を入れてもらっていた。
浣腸をしたいと言えば渡辺先生は急にニコニコ顔になるとYさん。大きい声で『浣腸をおねがいしま−す。』

[19]『従業員教育ですよ』

 診察室で順番を待っていた私が壁にぶらさげてあった小冊子(病院で働く人のために?だったかな)をしげしげと読んでいる。と何を思ったか渡辺先生が診察・処置の合間をみて、ニコニコしながら近寄ってきた。そして、そっと一言『従業員教育ですよ』と。確かに、それらしき事が載っている新聞や雑誌の記事をも糊やセロテ−プで綴じこんである。遠藤周作の文などはまさしくそれである。孤独解消こそ痛みを半減する。看護婦さんに手を握られていただけで・・・・てな内容であった。

[20]これでみんなお尻あい

 術後一週間して三階のこの部屋に移った。床暖房が効いている。横たわっていると暑いくらいだ。知った顔が温かく迎えてくれた。人数の増減はあるが、八名位が畳十五丈くらいの部屋で雑魚寝するのだ。ここで二週間ほど過ごすことになる。抜糸されると肛門のリハビリと称して指をつっこまれ、グリグリされたとTさん。手術後十日もしないうちに殆どの糸が抜けてしまって出血、騒ぎだとZ氏。これが終わったらまたしっかりしこんむんだ。とチルミルママ。便の色、気になりますよね−とYさん。今カレ−ライスだとか固いとか。浣腸してもらってすっきりしたとか、切った肉片の大きさとか数とか、そんな話が食事中でも飛び交う。おおらかそのものだ。症状も千差万別だが切れ痔・脱肛・内痔核・外痔核・痔瘻の手術後とも大抵同じ経過をたどるようだ。あと一週間もすれば先輩T氏のようになるのかと思うと気も紛れてくる。
 先日卒業(退院)していったR子さん(高校3年生)が話に加わる。切れ痔で3回大出血。全部で3リットルくらい出血したんだよと。ケロッと話す。そんなバカなと一同の疑いを背にこまごまと話してくれた。あと一回出血していれば、死んでいたそうだ。ここへ来る前、輸血してもらい国立病院の医者に言われ、渡辺肛門科医院の主(ぬし)になった経緯を聞くに及び背筋が寒くなるのを覚える。

[21]抜糸、バッシバッシね

 今日は抜糸の日と聞いていた。抜糸は退院の三・四日前にやるのが常だそうだ。聞くところによると今日を境にこの手術後特有の痛みや苦しみがみるみるうちに快方へ向かっていくそうだ。心待ちにしていた日でもある。ただし、強烈な痛みを覚悟しなくてはならないということだ。同期のZ氏などはどういう加減かこの四日ほど前に全部糸が抜けてしまっているので、やる必要はないとのこと。彼の出血騒ぎを尻目に見ていたが、今日ばかりは反対の立場となりそうだ。
 「痛み止め入れますか−」「あの、今日は抜糸だと聞いてますが」「おっそうそう、抜糸だバッシ、バッシね−」と例によってニコニコ楽しそうに言ってくれるもんだから、痛さを覚悟していた気分がふ−とどこかに飛ぶ。痛みが走り・・・・・今までで一番痛い。「あと一本です」特に最後の二本の糸を抜く時の痛みは飛び上がるほどだった。「はい、終わりです。全部で十一本ね。」と脱脂綿の上の血塗られた黄色い糸を見せてくれた。四日前、数本束になって抜けたことがあるので、手術には二十本くらいの糸を使ったことがわかる。痛み止めの座薬を入れてもらう。「今日は少し血が滲むかもしれません。おとなしくしていて下さい。お風呂はいいですよ。」と先生。カット綿を押し当てながら看護婦Tさん、「これ、最後のいじめね。」と終わった。

[22]患部に触れる風呂の中

 風呂は入院中6回入ることができた。月・水・金が入浴の日。手術した日が一月二十七日(木)なので、記念すべき第一回目の風呂は三十一日(月)となった。入っている最中出血したらどうしようとばかり考えていたのがなつかしい。そして、勇気を振り絞って患部に触ってみたのもこの日だ。肛門の周囲で後ろから右方向にかなりメスが入り、特に取り除いた部分はへこんでいることがわかる。退院の日には患部を鏡で見せてくれるそうだが、実際はどう切り刻まれたのだろう。楽しみでもある。

[23]渡辺院長の痔治療哲学

 患者にはプライバシ−がない。特に九時と四時頃みえる外来患者はプライバシ−保護を期待してはいけない。なぜか。入院患者がその時間帯はぞろぞろ診察室にたむろしているからだ。しかも、渡辺院長先生の外来患者への説明が丸見えなのだ。外来患者を優先にして診察しているが、その合間をぬって入院患者が処置をしてもらっているために、こういう現象が起きる。加えて、周囲にいる入院患者にも同時に説明しているようにも見える。入院患者は外来患者を気にしていないように振る舞うが、説明を聞きながらうなずいている人もいるくらいだ。その雰囲気が何ともいえない空気を作りだす。これも、痔の治療に対しての渡辺院長先生の哲学がうかがえる。痔はおおらかに治していこう、恥ずかしいなどという感情は早く克服しなくてはいけないという事なのだろう。だが、初診の患者はとまどうに違いない。だから、十二時前と六時前の閑古鳥が鳴いている時に来るのがよかろう。

[24]苦痛の総括

 苦痛には肉体的苦痛(痛み、吐き気など)と精神的苦痛(恥じらいなど)がある。この病気を治していくにはこれらを克服していかねばならない。この渡辺医院の治療システムはとても画期的ということがわかる。それは今まで記してことを吟味していけばわかると思うので割愛する。本題に入ろう。肉体的苦痛に関していえば、最大の難関は抜糸であった。これは多くの人が経験することであるが、同期生のZ氏などは先に紹介したごとく難無くクリア−している。チルミルママは前日の私の苦しみを聞くにつけかなり覚悟して臨んでいた。「私、全然痛くなかったよ。折角、タオルなど用意していったのに、拍子抜けしちゃった。」と。唖然。
 次は術後に襲われた頭痛である。ごろごろしている時はさほどではないが、起き上がる時フ−と頭を締めつけられるような症状になる。立っているとそれが持続する。ず−と寝ていられるなら難無くクリア−してしまうことであろうが、そんな訳にはいかないからこれには随分苦しんだ。
 もう一つ、患部洗浄の時にみまわれる痛みである。いわゆる、しみてくる痛みなのだ。トイレでの洗浄は自分で幾分は加減ができる。あまり、加減するとお土産がそのままついているので注意しなくてはいけない。処置の時、看護婦さんにしてもらう時は有無をいわさずビシャビシャやってくれるものだから、その部分に温水があたるとこれまた飛び上がってしまいそう。術後十日前後が一番苦痛であった。ただ、手術後抜糸するまで痛み止めの座薬を入れていたので、ゴロゴロしている中での苦痛的な痛みがほとんどなかったのは幸いだった。
 精神的苦痛に関していうとやはり術後八日目の就寝前に起きた出血である。三階合宿所に移り、うきうきした気分でトイレに入り、出すものを出し温水で洗浄している時であった。なにやら温水とは別に尻を伝わるものがある。便器を見たら、真っ赤。そう真っ赤なのである。そんなに悪い事してないよ−、と叫びたい気持ち。ポタッ−、ポタッ−と落ちている。慌てて脱脂綿をあてがいそのまま出ていく訳にはいかないので、身繕いをしてトイレを飛びだした。ちょうど同室のZ氏、Yさんが歯を磨いている最中。そのことを告げた。血を見ているZ氏は落ちついたもので看護婦さんの所にいってみたらと涼しい顔。そして、「トイレのスリッパはおいていかにゃ−」と。見るとトイレのスリッパを履いたまま出歩こうとしていた自分に気がつく始末。看護婦さんに見てもらったら、「今は出血なんかしてないよ−。今の時期が一番出血し易い時期だからおとなしくしていてね−。」とこれまた涼しげにおっしゃる。そんな、まさかと思いつつホッと一安心。そういえば、そんな事を同室のTN氏が言っていたなあと思い起こす。翌日の処置の時「糸が一本ぬけていました。」と先生の説明。そのせいだなと納得。
 次は臭いである。夏のムシムシした時期に入院したなら、これはとんでもないだろうなと思うのである。誤解してもらっては困る。便の臭いではない。術後患部から出てくる侵出液の臭いである。吐き気を催すような臭いだ。この侵出液の始末をきちんとしないと他人にも迷惑のかかることになる。換える時ベットリとカット綿についてくる。茶褐色である。この量は抜糸後は極端に少なくなるから不思議だ。色も次第に薄くなっていく。トイレにはそれをいれておく蓋付きのポリバケツが置いてあり、そこに始末しておく。その蓋をあける時に狭いトイレにプ−ンと漂う訳だ。自分もその臭い発生源をつくっているのだから、これは我慢だ。
 もう一つ忘れてはならない事。それは恥じらいの克服だろう。肛門という人間にとって特別な(本当は特別ではないが)思い入れのある箇所である。手術後は少し締まりがなくなるのか、所かまわずプリプリとおならが出る。「歩くたんびに、プップップッというわい」とZ氏が言うが、それも極端な話ではない。「トイレはスリッパで誰が入っているのか分かるよね、でも私トイレの中でブリブリッなんて平気になっちゃった」とYさん。娑婆では考えられない会話が飛び交えば、ここでの生活は苦痛も楽しさ丸だしとなること間違いなしとなるのである。

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